おはようございます。
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今日は僕の誕生日 1963年10月6日 僕はこの世に誕生したのでした。
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上の写真は、僕が生まれたときのへその緒がはいっている箱です。
マッチ箱くらいの大きさです。
これは僕の体でもありますが母の身体でもあります。
昭和6年生まれの父と8年生まれの母。
それぞれの青春を生きて夫婦になり、家族になりました。
今は天国にいる父と母に感謝を込めて、この文章を書いています。
上の写真1988年 わたしの歳と同じ母と2歳(58歳)上の父です。
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今、えがおの活動の時にお会いする素晴らしいプラチナ世代(高齢者)さんを父や母だと思っています。
だから、父や母に伝えることが出来なかった「人生を感謝する気持ち」を皆さんを通じて伝えさせてもらっています。
僕は今、この時代を生きていて、毎日がお祭りのように、葬儀のように、入学式のように暮らしています。
共に生きてきた兄妹、愛する妻・美保と、不自由なく暮らせる環境、そしてわたしを見守り、認め、鼓舞して、励ましてくれる多くの仲間達。ありがとうございます。
今のところまだ動けるから、動くことで誰かがえがおになるのなら、僕は動こうと思う。
動けなくなる時が来たら、動くことでないことで、誰かをえがおにしていこうと思う。
何ごとも自分の可能性と自分ができることをその時に探して、
「きっと誰かの小さなえがおのためになる」そう信じて行動していきます。
思いつきではないきっと人生の目標でしょう。
その僕にも命の終わる時が来ます。
そのときに「誇り高き父母から受け継いだこの身体の僕は、嫌な思いをさせても来たけれども、きっと克之にしかできない、克之らしい、でもほんのちいさな何かをこの世に残したね」と天国の父母が迎えてくれる、そんな夢を見ながら僕は目を閉じたいと思います。
その日が来るまで僕は僕らしく生きていこうと思います。
そんな決意を込めて誕生日の私自身にむけて言葉を。