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彩りあふれる豊かな生活をもう一度取り戻す

20191015森住菊江さん

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大正13年6月28日生まれ95歳 神奈川県座間市上宿生まれ 3人兄弟の末娘で現在の座間キャンプ場の近くで生まれた。実家は養蚕業。父は種屋を経営。

父は3歳で他界したため父の顔を覚えていない。父の死後、母も養蚕業を行ってきた。

小学校の頃、中耳炎になり内科に伺うが良くならず、厚木の耳鼻科に伺った時に即手術をすることに。

子供の頃からあまり運動が得意ではなかった。しかし県立厚木高等女学校に入学したらすぐに泳ぎを徹底指された。泳げなかったのに茅ヶ崎の海で泳げるようにまでなる。バレーボールも熱中した学生時代だった。

自宅から学校までバスに乗ればあっという間だったが、当時の車の揺れは今とは比較ではない。車酔いが激しいためバス停を通り過ぎ、遠くまで歩き電車に乗り、相模線で通学していた。

学校を卒業後、近くの人からぜひ、と頼まれ、食料公団座間支所の事務所で働く。

夫との出会いも偶然。母が「荷物を担ぐ動きがとても洗練されている」と気に入った男性。11歳年上の夫と22歳のときに結婚。夫は教員。篠原台町には昭和34年に越してきた。

女学校時代から始めたお琴やお茶や習字など行い暮らしてきた。

40代半ばで突然、町会長から「民生委員をやってほしい」と頼まれた。世帯の増加に伴う増員。最初は街の様子があまりわからなかった。 しかし、30年も続けたことで地域への理解が深まってきた。 丁寧にお話し相手を務めるなど、少しずつ絆を深めてく。 特に独り住まいの高齢者さんには、心を込めて接するように心掛けていたそうだ。 77歳まで民生委員を30年間も務めた。 その間に老人会である陶朱会の会長、高齢者施設に手縫いおむつ届ける「のぞみの会」会長を歴任。

現在はグラウンドゴルフに参加し、麻雀の会にも月2回参加している。

「大切なことは体をいたわること」とお話しする。90歳まではラジオ体操に参加、そして、ご自宅が坂の上にあり、歩いているうちに自然と体が鍛えられたのでは、と話す。 幸せですか、と尋ねると「悔やむ事は何一つない生活を送っています。幸せです」とはっきりと話す。 あまり物事を深く考えすぎることなく、呑気な性格なのよとにこやかに語る。

30年間、民生委員を務め上げた功績を認められ、平成12年に藍綬褒章を受賞。 大切にしてきた町でいま、穏やかに暮らす森住さんでした。

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