今月の表紙は 田中洋三さん 79歳
昭和15年9月14日生まれ79歳
田中さんの大切にしている言葉
笑顔はあなたの魅力を引き出してくれる魔法である −ダフネ・セルフ−


鹿児島県肝属郡岸良五郎ケ元で農業・林業を行う家庭の8人兄弟で生まれる。

小さい頃から明るく社交的で歌が大好き。
でも臆病だよと語る田中さん。
学芸会で浜辺の歌やみかんの花を歌う人気者。
中学生の時に近所の子を連れて海水浴の帰り、畑のスイカを下級生たちにと盗ってしまう。
これで学校は父に厳重注意。
父は「お前を殴るとかたわにしてしまうから耳をひねるぞ」と言って厳しい顔で躾られた、と涙を浮かべながら話す。
進学する人が少ない頃鹿児島県立鹿屋農業高校林業科入学。
父は営林署に勤めさせたかったが、昭和34年、神戸製鋼の高卒養生工1期生になり電気溶解科に勤務し始める。

ここで転機があった。 大阪の喜楽別館のホールで友人の活躍を見た。

楽しいことが大好きな田中さんは演舞場に入り浸り「君は明るくてにこやかで人を楽しませることが大好きなんだからぜひ」と芸能界に誘われた。 22歳で「小島宏之とダイナブラザース」に入り芸能活動を開始。

最初はギターを持って笑っているだけで良い、と言われたがファンが多く長い間芸能界で活躍した。

ステージで日本中旅をするが、楽しみは気分良く迎えてくれる赤提灯。
自分もぜひやりたいと昭和58年12月に芸能界を離れ、武蔵小杉の焼き鳥くろちゃんで修行。

3ヶ月で焼鳥屋の全てを覚えた。
昭和59年4月9日に綱島西4丁目で焼き鳥くろちゃんをオープン。
順調に営業を続けてきた矢先に交通事故が。
67歳のとき、帰宅途中に車がひっくり返る大事故。
同乗の妻は肋骨4本骨折、田中さんは半月板損、靭帯断裂。
1年半近く休んで復帰したが74歳で焼き鳥くろちゃんを引退。
今は幸せですかと聞くと感激深い声で「そりゃあ、この年までこのように生きてくれるのはものすごく幸せです。人生振り返って好きなように生きてきて何一つ悔やむ事は無い」とはっきり語る。

韓流ドラマや昭和歌謡番組を観ることが趣味。
1番感謝を伝えたい人は誰ですか?と尋ねると「焼き鳥くろちゃんの黒坂社長」と嬉しそうに話す。
大切にしている言葉もまるで田中さんのお人柄そのものでした。
