鳥原 大さん
昭和2年(1927年)12月16日生まれ台湾の台北で7人兄弟の3人目として生まれる。
父は電気技師。
旧姓は星さん。
小学5年生でボーイスカウトを経験し、剣道に励み大会で準優勝した経験もある。
昭和19年中学4年生の時に海軍甲種飛行予科練習生として高雄から松山に入隊。
昭和19年4月、16歳当時「国のため航空戦力一刻も早くなりたい」との気持ちでいっぱい。
検査を経て偵察員となり福岡に移動した17歳の時終戦。
悔しさと安堵する気持ちだった。
一家が日本に引き揚げ、川崎の古市場に復員。
退職金・積立金で生活を支える。
旧制電機工業専門学校(現・東京電機大学)に入学。
関東電気工事会社(関電工)に入社し電気設備一筋で勤め上げてきた。
当時を振り返ると「対人関係にはいつも救われてきた」と感慨深く話す。
昭和30年2月に結婚。一女を授かる。
仕事ぶり・人柄を見込んで「鳥原さん指名で」との仕事が多く、東京から埼玉や鴨川まで会社にオートバイや車を用意してもらって通勤する毎日。 何よりその人望の厚さは素晴らしいものがある。
電気設備工事は仕事先が工場。正月三が日に新しいシステムを導入するための突貫作業が毎年あったそうだ。
昭和32年10月久が原から日吉に引っ越しをしてきた。
何より大切にしているものは「出会った人に対する全身から発する感謝の気持ち」五箇条の御誓文・教育勅語・出逢った先人からの学びの数々。それを本当に大切にし、出会う人にその気持ちを込めて接してきた。そのおかげで多くの人に支えられる毎日。
その噂は噂を呼び次の仕事が舞い込む。
72歳で仕事に終止符を打ち、その後は詩吟に興じ、また若い頃に短期間だけ接したことのある尺八も始める。
今は幸せですかと聞くと「幸せ以外の何ものでもない。全てが幸せです」と強い言葉で答える。何より家族を大切にしたい、その気持ちを持って生きてきた。今も家族に囲まれ幸せが溢れている笑顔だ。
健康の秘訣はプール。現在でも週に2回通ってウォーキングや水泳を欠かさない。
これからのプラチナ世代にオススメはと聞くと「詩吟ですね。古代中国詩人の名句・明治時代以降の偉人の深い言葉を我事のように触れることができます。
また、学ぶほどに課題が沢山で乗り越える喜びも得られます。 何より心腹の底から声を出し健康でたくさんの仲間もできますよ」とにっこりと語った。
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