プラチナ世代交流フリーペーパー
えがお 令和2年4月号 3月15日発行
今月の表紙は 畑山 芙美衣さん 67歳
昭和27年9月20日生まれ67歳。高田町で生まれ育った。
当時は住居が14軒だけの西原という地区。
農家の多い中で父はサラリーマンの家庭。
高田小、新田中、私立高校卒業後看護専門学校に進み看護師として『神奈川県立こども医療センター』に勤務。
石材業(畑山石材)の夫と出会い25歳で結婚。
昭和52年にT細胞関連脊髄症(通称HAM:ハム)を発症。
当時この病気は未発見。病名が分かるまでの10年は辛い日々が続くが、関東労災病院でHAMと診断名がつき3ヶ月入院する。
進行性の神経難病で治療法がないこと、また病名が分かった喜びとステロイドを使う事に対する不安と絶望感で入院生活が始まった。
入院して1週間が過ぎた頃に不思議なことが次々に起こり始めた。
大空いっぱいに広がって行く果てしない自由を感じる開放感。
自分の身体に自分で巻き付けていた目に見えない鎖があったことに気がつく。
お見舞いの花が咲き続けたり、病棟中で交流が増え明るい雰囲気になり、長期入院の人が次々に退院するようになった。
目に見えない大きな力を感じるようになり、感謝せずにはいられない入院生活になる。
平成7年、歩くことが困難になり、自宅の新築を機にコンサートやお話会を開いて「天使くらぶ」を始めた。
「天使くらぶ」は病気を引き受けた代わりに授けられた宝物。
病気が進行して「天使くらぶ」を続けるのが困難になり始めた時のことを次のように語る。
「天使がスケッチブックの上に舞い降りて来たのです。
3年後、『るかちゃん』というお人形になって喜びと幸せと希望を運んできてくれると、自由に動けない私の代わりに、必要としている方の元に、タンポポの綿毛のように飛んで行って寄り添い、優しさや幸せをお届けしてくれるようになりました」と畑山さんは語ります。
「天使くらぶ」や「るかちゃん」が畑山さんを「幸せ病」にしています。
「幸せ病」は治療することも治す必要もなく、感染すればする程幸せが広がる素敵な病です。
これからの夢は「るかちゃんをブランド化して、多くの人に知ってもらい、応援を受けながら、るかちゃんのお人形を必要な人のもとに届けること」と話す。
令和のスタートの時、子年という年回りの時、春という季節に重なって畑山さんにも新しいステージが始まります。
畑山さんは「これからも夢を諦めずに、ご恩返しをしながら可愛いおばあちゃんになることが目標です」と目をキラキラ輝かせながら語ってくれました。
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