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彩りあふれる豊かな生活をもう一度取り戻す

2019年06月15日表紙_木村冨久子さん102才

2019/06/15
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大正5年11月21日生まれ102歳 東京都北品川で生まれる。商社マンの父はイギリスから機械を輸入するコーディネーター。父の仕事の関係で麻布へ移り、小学校3年の時に、また横浜へ引っ越す。(生家は伊藤博文の屋敷のすぐ前。)
小学校の頃から舶来の靴や服を身に付けていた。フェリス女学校に中学から入学し、5年間を過ごす。リレーの選手を務めることもあった。卒業後はYWCAの商業科で英文タイプを学ぶ。技術を活かし保険会社に英文タイピストとして入社。23歳の時に結婚。

夫は、二つ年上の兄が出征したときに冨久子さんだけでなく家族を支えてくれた優しい人。
娘の幸子さんを授かる。
三年後に通訳としてフィリピンに赴き、マニラ支店勤務。しかし戦争に巻き込まれミンダナオ島でこの世を去った。夫の家族も支えてくれたが、冨久子さんは保険会社の仕事で定年まで勤務。その後新たな保険代理店から依頼され、80歳まで保険代理店の保険部長として活躍した。現役時代に、お花の先生や、またお茶、書道、俳句などを嗜み、山登りを楽しみ、多くの活動をこなす。

今は幸せですかと尋ねると「幸せと言わないとバチが当たる位だわ」と話す。また「この歳になると先の事はよくよくわからないけれど、思い出を振り返りながら生きるのはとても幸せよ、今まで考えてもいなかったことを思い出したりするのよ」と語る。

選挙の際には不在者投票をこなし、その後、家族で岸根公園まで足を延ばしてお花見。大好きなお酒も機会を見て楽しんでいる。

今1番嬉しい事はなんですか、と尋ねると「友達が顔を見せてくれることね」とにっこり
これからのプラチナ世代に一言と言うと「少しでも、ちょっとでも声をかけて、その場を暖かい空気にすることが大切よ、黙ってなんていないで、笑顔で接して。えがおの人に悪い人はいないから」としっかり伝えてくれた。
大切にしているのは「常に明るく笑顔でいる事よ」今でも生のもの、特にお刺身が大好きな木村さんのその笑顔はキラキラ輝いていた。

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